SNS

今となってはここでは当たり前に存在するSNS。私はSNSなんかなかった時代に生まれたかったと思う。うーん、言い切ることはできないけれど、そう言う時代に生きてみたかったな、と思う。中学生になってからSNS、またインターネットに寄り掛かるようにして(依存とも言えるかな)生きてきた私は、とても弱い。弱くなったと思う。でも、なかったら、今頃この世にいなかったかもしれない。その場合話は変わるのだけれど。でも、SNSに依存することが、自律することの妨げになったのは確かだと思う。色んな人に頼ってきた気がする。SNSに書き込んだり、人と繋がることで、実生活(リアル)では、絶対に話すことなんて到底できない、ものすごく大きくて何色とも言えない暗い色をした岩のような不安や憂鬱な気持ち、ことばにできない苦しみを、分散させていた。分けて相手に与えていたのかもしれない。心苦しい話だ。まあ、分け与えてしまうということはリアルでもそうなんだと私は思っているから、他者に対してじぶんに関する暗い話はあまりしてはいけないと思っているのだけれど。でも、やっぱりひとりじゃ抱えきれなかったから、決してよい方法じゃなかったとしても、相手に分け与えると言う方法で肩の荷を減らしてなんとか生きてこれたのだろう。それでもやっぱり、SNSやインターネットがない時代に自分が生まれていたらもっとつよくなれていたのではないかな、と思ってしまう。簡単に、地図のアプリで右に曲がって真っ直ぐで着けますよとか、電車やバスの時刻を調べられたりとか、編み物だって図面だけじゃよく分からないけれど、YouTubeを見ながらだったらなんとかできる。それに出会いを求めれば出会える。ちやほやされたければ、ちやほやしてもらえる。承認欲求ってやつだね、それが悪いとか良いとかそういう話じゃなくて、なんでも頼れてしまう。自分で考えることをしなくなる。自分の力で乗り越えようとするエネルギーがどこかへ消えてってしまったような気がする。私は常に他者からの評価を気にしてしまう。SNSやインターネットに向いてない。簡単に言っちゃうと、自信がないのだ。自信はあり過ぎるのもよくないが、なさ過ぎるのも良くないと思う。少しくらい自信を持って生きていきたい。いや、本当は自信はあって自己愛が強いとか愛着の問題だったりするのかも。それはそれでまた考えなきゃだなあ。人の愛着やパーソナリティは青年期にほぼ確立してしまうから、今からそれを変えることはとても難しいことだ。でも、それをしなくちゃ、またはぜんぶ明確にしてそれを受け入れた生き方をしなくちゃ、ずっと生きづらいままだ。どんどん書いてて乱文になってしまった。とりあえず、いま何が言いたいかというと、SNSやインターネットに頼った生き方はしたくないということと、SNSやインターネットとうまく付き合っていこうということだ。そして、本当の意味で大切な人との関わりを忘れないでいたいということだ。私は人に恵まれているのだから。生きづらくても、運は良い方なんじゃないかな。もう若くないとか最近思うけど、まだ若いよ、だいじょぶ、そう思ってるよ。どーでもいいことやってる暇なんかないけど、どーでもいいことと大切なことって紙一重だったりする。だから、分かんなくてもいいからやってこーよって思う。