まぢへるぷみ。

くらっしゅしてる。ハプニングさえも楽しめればいい、なのに、それがうまく出来なくて、わからなくて、くらっしゅしてしまっていて、眠れる気がしない。色んなことばや文字が頭のなかでごちゃごちゃぐるぐるしている。全部バラバラになって。

いつまでも、あなたのことを思えばしねると本気で思えるまでは、続けなくちゃ。ロックでこの足動かして。

でも、ぜんぶ分かんなくなっちゃった。じぶんのこともそれ以外のことも。本当の名前で呼んでほしい。自分でも本当って何か分からないんだけど。それにまだまだ分からなさそうなんだけど。いま、分からないことが多すぎる。もちろんまだショックもあって、それも混ざってる。神さまがいるなら、本当の名前で呼んで「だいじょうぶだよ」ってひと言でいいから言ってほしい。

おやぷみ。

バカ

なんて愚かな考えをしてしまっていたのだろう。恥ずかしいを通り超えて、ショックだ。好きともなんとも思ってなかった人にひどく振られたような気持ち、だと思っていた。けれど、そんなことだけはなく、自分も歪んだ考えをしてしまっていたのだ。才能がないから、音楽や詩をつくらないとか、つくっても意味がないとか、そういう次元にいる時点でおかしかったんだ。実は“自分自身”がそんな次元(才能がない人は創作活動してはいけないみたいな)にいたのか、と我に返って、少し目を覚ました。私がやりたい“つくる”ということにおいては、才能なんて関係なくて、やりたいことをただやるだけ、それだけだったじゃないか、と。そこにはどうしても才能ってものが付随してしまうから、と考え込んでしてしまって、これから何をしたらいいのか、心の中にぽかんと大きく深い穴が開いてしまっていただけだったんだ。通りすがりの人に「ブス」等と突然悪口を言われて、それに傷つく。そんなようなことだったんだ。当たり前の話で、そのことばにとらわれる必要なんてものはなかったのに、気にしてしまっていたのは、とても愚かなことだった。

ことばを文面通り受け取ってしまうことや、そのことばたちが自分という人格の中に土足で入り込んできてしまい、その度に自分の中身がぐちゃぐちゃ、ぐにゃぐにゃに変えられてしまう特性が私にはあるから、いちいちそれを繰り返してしまっていたら、これからきっとずっと生きづらい人生になっちゃう。だから、そうならないための対策が必要だ。じぶんという軸がちょっとのことではブレないように。でも具体的な方法が今ハッキリとは分からないというのが本音で、なんとなく言えるのは、本当の意味で人と“関わること”が大切だよな、ということだ。これは私にとってはってことで、ひとりぼっちでも、自分に軸がある人はしなくても大丈夫なことだと思うけれど。でも、自分がない、なんにもないってのは悪いことだけじゃないはずだ。それを生かすことができる気もしてる。

労働

「えっ!?働きたいの?」と言われた。ことがある。「早く安定した職に就きなさい」と言われた。こともある。どっちも真逆のことなのに、スッと返すことばが出なかった。なぜか。なぜだろう。働くこととは一体どういうことなのか。いまだによくわからない。「働かなくていいんだよ」と言われた、こともある。今YUKIの星屑サンセットが流れている部屋でこれをパソコンに向かって文字を打っている。最近、aikoYUKI大塚愛とかの懐かしい歌を聞くことが増えた。彼女たちの声に、すごく勇気づけられる。アイドルみたいな力を持っているなと思った。それって、素晴らしいことで、良い意味で人を狂わせられる力を持っているってことだと思う。私もアイドルになれたらいいけれど、そんなのはむりだ。でも、だから、アイドルみたいな力を持って誰かのためになれたらと思う。ていうか、いつもそこに戻ってくる。人気者になりたいとか、見返りを求めている訳ではなくて。でも、それって”何かをしてあげている感”を感じたい(エゴ)だけなのかな。そうだとしたら、嫌だけれど、本当の純粋な気持ちだったら、いいな。そうであって欲しい。その気持ちと働くこと(労働)って一致するのかな?完全に一致する仕事は流石にないのかな?あったとして、そういう生き方、私にできるだろうか?そのためには今何をしたら良いのだろう?。

わかってる。覚悟だ。センスとかなくても、信じること。愛だ。ロックンロールなんだ。すごく恥ずかいしいこと書いている自覚はある。でも、結局ここにいつも戻ってくるじゃないか。そうだよな。できることを続けるだけだ。リズム。プリズム。頑張れ、私。

水色な気持ちで

iPhoneのmemoに書いていたことをblogに更新してみました。話が飛び飛びできっと読みづらい文章になっていると思います。だけど、今日たまたま読み返していて、これでいいのかも、と思い、載せられそうなのだけ時間を巻き戻し、投稿してみました。もしよかったら、読んでみてください。何でもないことしか書いてないけれど、もしかすると何かにはなるかもしれません。少なくとも私にとっては何かになったはずです。でも揺らいでます。決断しきれていないわたしが何日も前からずっとそこに居ます。なるようになる、とよく聞きますが、きっとこのこともそうなります。だけどなるようにって、つまりどんなことなのでしょうか。分からないです。

話は変わって、タイトルのこと。初め「透明な気持ちで」にしようとして書いてみたのだけれど、なんか違うなと思い「水色」に色を変えた。理由は?と聞かれるとハッキリとは答えられないけれど、透明って色んな色になれすぎてちょっと怖かったのかもしれない。水色は変わらない。変わったとしても、範囲があるから安心できたのかもしれない。これは他の色にも言えることだけれど、今は水色の気持ちで居たいのだ、なんとなく。

しちゅー

なんにもない。なんにもない一日だった。シチュー作って食べた。それだけ。いい日だった。少しだけ断捨離もした。結構疲れた。

そういえば、やっぱり歌いたいな、とふと思った。なにを?歌いたいことなんかない。なんて、それだけは言えない。ぜったい。何でもいい訳じゃない。でも、やってみよーかなって今日そう思った。だってそれしかないから。それしかないって思ってたけど、全然だめだって気付いてしまって諦めてた。でもさ、やっぱりわたしにはこれしかない。

じぶんのことばかり考えていると閉鎖的な思考に陥る。だけど、自分以外つまり他者のことを考えればいいのかと思うけれど、一体誰のことをどのように考えたらいいのだろう。興味がない訳でもないけれど、関わる機会が少ないというのもある。でもそれだけじゃない気がする。

宙ぶらりん

宙ぶらりんでもだいじょうぶ。たくさん泣いた後、小さな部屋でぴらりらりんとピアノを弾いてみたり、ひみつの音楽聴いていたら、少しだけだいじょうぶになった。頭は痛いけれど、明日のこととか考えないで今は今のことだけ考えていいよって思おう。思っとこう。もう寝る支度をしなきゃいけない時間だけれど、作りかけの曲の続きでも作ってみようかな。今日も雪がすごいみたいだけど、コンビニでも行ってみようか。人は皆んな一人であるということ、ことばにすればこんなにも簡単なこと、全然簡単じゃない。なんて大変なんだ。平気で出来ている(そう見えるだけかもだけど)もいれば、そうじゃない人も居るのを知っている。そういえば、今日お菓子しか食べてないな。お腹空いたな。誰もみんなごはんを食べなきゃ死んでしまう。(究極なことを言えば。)寝るのと食べることは大事だ。今から何か作ろうか。シチューのためににんじんとじゃがいもと鶏肉買っておいたしな。使わなきゃだし。元気だけが、意味じゃない。だいじょうぶ。じぶんがじぶんでなくちゃ、消えちゃいそうなの、当たり前だよ。元気だせーのでだいじょぶになれる魔法を、今日からじぶんでじぶんにかけられるようになれる。なれる。宙ぶらりんでも、だいじょうぶ。

桃の天然水

中高の時、駅の自販機でよく桃の天然水を買っていたことを、ふと思い出した。途中で、見かけなくなって、なんか違う名前の味付きの水を買うようになってた。今はそれも見かけない。毎朝駅までダッシュで、駅に着いてからも階段をすごい速さで駆け上り、ホームのある方へ走ってまた階段を降りてギリギリ電車に乗り込むみたいな感じだった。でも友だちと約束してるのは、一番遠くの奥の車両だから、乗ったらまたそこから奥の車両まで歩く、みたいな今考えると、どんだけ慌ただしい朝を過ごしてたのだろうと思う。朝ごはんももちろん食べてないので、電車の中でカロリーメイトなどを食べていた気がする。宿題も終わってないから、立ったまま窓を机にしてやっていたな。行儀が悪い。ずる賢いこととか、そういうことが苦手で、解答を写さなきゃ終わらない時は、全部赤ペンで丸写ししてた。今思えば周りの友だちのようにちょっとだけ間違えたのをシャーペンで書き写し、赤ペンで直せば、あんなに怒られたり、呆れられたりしなかっただろうに。

 

昼夜逆転は無理やり直してるけど、やっぱり簡単じゃない。22時に布団に入っても全然眠れないし、深夜には起きてしまって、また眠ろうとするけど眠れないから仕方がなく、起きている。そうすると、やっぱり日中頭がぽわぽわして作業に集中できない。今も眠いけれど、ハイな時と似ていて、体は眠いのに頭は起きようとしている感じがして、どうしようもない。調子が悪い。最近はピアノをずっと弾いているだけで、一日が終わってしまう。決して上手くはないけれど、少し楽しく感じる。何度も何度も同じフレーズを繰り返し練習していると、子どもの時YAMAHAに通っていた頃を思い出す。フツウ、楽譜を読みながら弾くということを誰も教えてくれなかったから、先生が弾く音を覚えて鳴らしていた。それが段々と通用しなくなってきた時、初めて楽譜を読むということをし始めたので、大変だった。今でも初見が苦手で、楽譜に音階を書き込んでしまう。そんなことはどーでもいいのだけれど、最近つよく思うことは、何かひとつでも尖ればいいな、ということで、でも、それが今の自分にはない。やらないからじゃないか、と思うけれど、それだけじゃなく、やっぱりサイノウってのは生まれつきあるのだよなと思う。努力することを否定するつもりは全くないけれど、努力は絶対に報われるものではない。じゃあ、どうするか。やるんじゃなくて、見つけるんだと思う。見つけるというか、見つかる。まあ、やらなきゃ見つかるものも見つけられないから矛盾して聞こえるかもしれないけれど。だから、落胆する必要はない。見つかるから。それだけはさ、信じたい。諦めとかじゃなく。